本日(2012年3月7日)の日経新聞小説「等伯」は、何かを成そうとすれば、自分自身で命をかけても乗り越えなければならないことの大切さを説いている。
等伯は息子の久蔵が、切所にさしかかった時、“乗り越えるのを黙って見守ってやるしかない”と“本当は心配で心配で、居てもたってもいられない”ほどでも“この切所をどれほど辛いか”、“下手をすれば命まで取られかねないだけに、どこへなりとも駆けつけて手をさし伸べ”たい気持ちを押し殺しても突き放しているのだ。
“それをすれば久蔵の成長の芽を摘むだけなのだから、冷たいと言われようが薄情と言われようが、じっと耐えて待つしかない”と帰ってきた時に“手本だと突きつける”ための手本を描いながら耐えるのです。
NHKの朝ドラ「カーネーション」でも、主人公は三人娘が自立的姿勢を第一に重んじていたと思います。
私は、ニーチェの名言:「悪意の如く振舞う気位の高い慈愛もある!」を大切な言葉としてきました。
日常的に、家族内のみならず、医者としても、社会的人との関係にしても、実践してきました!
それゆえに多くの舌禍があります!
私は目線を同じにして「気」を持って自分で乗り越えるしかない努力の重要性を「悪意の如く気位の高い慈愛」の心で訴えても、患者からは、“患者は弱い立場だ!”とお叱りを受けたことはシバシバです!
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はてな日記には「もう一つの茶の道」、「もう一つの健康情報」を取上げています。
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